4. 哲学者
4 – 1 – 1 美しき出会い
歳をとりゆったりと白服を身にまとった男がひとり、日曜の午後、
泉の近くおおい繁る立派な樫の樹の下に座っていた。
「こんにちは、ムッシュー。」 ソレールが声をかける。
「こんにちは、ミニュオン。」 と白服の男も答える。
「あなたはどなたですか?」 リュネールが尋ねる。
「私はフランス人だ。」 と白服の男が答える。
「ここで何をしているの?」 ソレールが尋ねる。
「私は、書いている。」 と白服の男が答える。
「あなたは、長い航海を終えた船長さんの雰囲気です。」
とソレールが言う。
「これから、過ぎた航海史を書こうとしている船長さん。」
とリュネールが続ける。
「その表現は気に入った。人は哲学者と呼ぶ。」 と白服の男が答える。
「僕達はメルベユーの黒い大鷲を追って、ここまで来た。
名前は知らないけれど。」 とリュネールが説明する。
「その鳥は、マ・ジェニィという名前だ。」 と哲学者が答える。
「そしたら、暗い森の中に迷い込んでしまった。とても怖かったよ。」
とソレールが説明する。
「ちびさん達、ふたりとも、私と一緒にここに住みなさい。
私が、あなた達の父親代わりになってあげよう。」
哲学者は、ふたりの面倒を見ようと提案してくれた。
「だめ! それはできないよ。僕達は、僕達の父上を探しているのだから。」
とソレールが言う。
「夢の中に父上が現れて、父上は地図にはない王国の国王だと語った。」
とリュネール。
「でも、その王国がいったい何処にあるのかも分からない。」
ソレールが呟く。
「存在しない王国の国王? 何処かで聞いたことがある。
確かにあなた達ふたりは、国王の子に見える。 あなた達の物語の王国に、
私も招待してくれるかな?」 と哲学者は楽しそうに笑いかけた。
「立派な樹を目指したら、ここへ辿り着くことができた。」 とソレールが説明する。
この男は、神も悪魔も信じない無神論者だった。人間を信じる男だった。
4 – 1 – 2 美しき出会い
「友愛の情を示す時に、こうする。」 哲学者はソレールに頬ずりした。
膝の上のリュネールを抱きしめて 「恋をした時には、こうする・・・・・・」
すっかり幸福な気分になったソレール と リュネールは、
故郷サーカスを出発してから忘れかけていた祖国の歌を再び唄い始める
あなたに出会う時
未来への希望を見る
他者への信頼を知る
だからあなたが好き
ここは 太陽がいっぱい!
雨が降っても いつか晴れるもの
「美しい歌だ。もうあなた達に恋をしてしまった。 ルテティアの都*へようこそ。
この草原で好きなように遊びなさい。もう怖がらないでいい。
あなた達は、好きな時に私に会いにおいで。 私の小鳥。
私はいつも、ここに座っているから。 このサン・ジュヌビエーヴの丘は眺めがいい。
知人**に頼んで、私と一緒にいるから心配ないと
あなた達の父上に手紙を書いてもらおう。」 と哲学者が言う。
「約束だよ。僕の名前はソレールです。」
「私の名前はリュネールです。あなたの名前は?」
「私の名前はジャン・ポール・サルトル。」***
三色旗が、あちこちの窓辺で風になびいていた。それは真夏だった。
*ルテティアの都 Lutetia パリ発祥の地とされる。
** Gabriel Marcel 小林秀雄と対談。「文明と自然について」1966年
*** ジャン・ポール・サルトル Jean-Paul Sartre フランス哲学者
4 – 2 薬草
「実のところ近頃、病気で具合が良くないのだ。
最近は眼も悪くなってきて、うんざりしている。」 と哲学者がふたりの子供達に語る。
「さっき、この近くで薬草を見かけたよ。」 リュネールが言う。
「病気が治るように、僕達が薬草の新芽を摘んできてあげる。」
とソレールが約束する。
一時間もすると、うっとりするような香りを放つ薬草を両手にかかえて、
ふたりは戻って来た。
「この薬草が効くよ。」 とソレールが言う。
「具合はどう?」 リュネールが心配して尋ねる。
「前よりも気分が良い。これならば大丈夫だ。」 と哲学者が答える。
「まるで魔法みたいだね。」 とソレールも喜ぶ。
哲学者は残りの薬草を胸ポケットにしまった。
「若かった頃は、有り金全部をポケットに入れていたから、
いつも友人*に笑われていたよ。」 と哲学者は笑う。
「あなたが今いる場所が、あなたの家だから。」 リュネールが言う。
「そうだ。」 哲学者が答える。
「向こう側で、石でできた橋を渡った。 あの橋は何?」 リュネールが尋ねる。
「ポン・ヌフ橋と呼ばれている。
ここルテティアの都で初めて造られた石の橋なのだ。
それまでは橋は木で造られていた。」 と哲学者が説明する。
「だから新しい橋と名付けられた。」 リュネールが納得する。
哲学者は、言うなれば “生き字引” であった。
*シモーヌ・ド・ボーヴォワール フランス作家 1908-1986
4 – 3 シァン・シァン
翌日、ふたりは、麦畑を横切る小さなシァン・シァンに出会った。
「なんてきれいなシァン・シァンだろう。海のように澄んだ青い眼をしている。」
「こんなに美しい生き物に出会ったことはない。」
ソレールはすっかりシァン・シァンの虜になってしまった。
「君はなんという名前? どこから来たの?」 ソレールが好奇心で尋ねる。
「僕の名前はタック。 西の方から西風に乗って来た。君達は?」
シァン・シァンは率直に返事をした。
「東の方から東風に乗って来た。」 ソレールもすかさず答え返した。
ふたりは、あっという間にシァン・シァンと仲良くなり、幸せな時を過ごした。
「タックは気立てが優しいね。君は一目ぼれ?」
「楽しかったね。 いろいろなお喋り話をした。」
「ルテティアの都は、ある日、愛の神に作られた街*に違いない。」
*ギヨーム・アポリネール Guillaume Apollinaire
□□□□□赤蟻が 蜜を つくるという
□夏の牧場(まきば)に ティピーの煙 ただよう**
真昼 かぎりなく だきしめよう
_______君が 好きだよ
**インディアンの天幕
( PJ004 )
4 – 4 私の小鳥
こうやって夢のような歳月が過ぎていった。
時間はとどまることなく過ぎ去り、ふたたび戻ることはない。
月日の流れのままに、ゆったり流れ行く大河の岸辺で、
ふたりで哲学者の膝上に載って過ごした楽しい日々も過ぎて行った。
「大河よ、ラ・セーヌ。 それがお前の名前。」 とリュネール。
「きっと世界で一番美しい大河だ。」 ソレールもうなずく。
「確かだね。」 リュネールは確信している。
プラタナスの庭園で、チンチラが出発しようと言い始めた。
「ここは決して旅の目的地ではないよ。
君達は、ルテティアの都に居たいだけいてもいい。
でもね、大きな休息の後で、君達の道を辿らなければならないよ。」
「もし私が若かったら、絶対に出発させない。」 と哲学者が言う。
「大好きだよ、私の小鳥。 私の最後の愛。」
「私はあなたの膝上で存在と無?」
「あぁ。」
「この街での一番大きな幸福は、あなたに出会ったこと。
あなたが誰であるかも知らずに。
私の生涯で一番うつくしい間違いはあなたの膝上で愛されたこと。 哲学者に?」
「私にだ。」 と哲学者が答えた。
激しく交わされる 言葉の彼方に 永遠が 舞い上がるのを見る
優しく見交わす 互いの眼の中に 予期していなかった幸福を 見つける
最後にもう一度 もう一度だけ 思い起こそう
この地上で 私達が所有できるのは 愛だけだと
ソレール と リュネールがふたりで歌いだす。
「美しい歌だ。 もう一度、私に唄っておくれ。」 と哲学者が頼む。
「お城を見つけたら、直ぐ急いでここに戻ってくる。 約束する。」 とリュネール。
「私の宝石、もう会えないような気がする。」 と哲学者が言う。
「別れたくない。」
「それが、あなたの選択・意志だから。」
「いいえ違う。運命だから。」
「あなたは、あなたの自由への道を歩み続けるのだろう。」 哲学者が言う。
「行かないで。」
「行こうとしているのは、あなたの方だ。それは、あなたの選択・意志。」
「その通り。出発するのは、私の方。」
「わがままだよ。」
「旅の果てに、私は何に出会うのだろう。」 リュネールがつぶやく。
4 – 5 牛の群れ
やっとソレール と リュネールは、哲学者の忠告に従って、
シァン・シァンを草原で草を食べている牛の群れに残していく決心がついた。
「お願いがあります、優しいおばさん。」
リュネールは、もぐもぐと口を動かしている群れの中で一番太った雌牛に近づいた。
「僕達の大切なシァン・シァンを育てて頂けないでしょうか。
これからの長旅に一緒に連れていくには、小さ過ぎるのです。」
とソレールが説明する。
「勿論だゎさ~。喜んでお手伝いしましょう、わたしゃ。」 雌牛が答える。
「頼りにしてもいいですね。」
「任せておくれや!」 雌牛は、自慢の巨乳をプリンプリンと誇らしげに揺さぶった。
「君は僕達が戻るのを、おばさんとここで待っているのだよ。 直ぐに会えるよ。」
とソレールがシァン・シァンに約束する。
「いつまでも、ここで待っているよ。」 タック・タックが答える。
夜が来た。
ソレールは、星々を散りばめた夜空のもとで、たった一人で「誓いの詩」を唄う。
その美しい歌は、草原に憩う全ての動物たちの胸奥に静かに届いた。
□□□□□.雨あがりの朝
記憶を もたない かもめ達が
□□□□□□□□□港を訪れる
□祖国の言葉を 忘れるほどの 長く
ゆるやかな 軌跡を 描きながら
明日は 見知らぬ 大陸(くに)へと
旅立つのだろう
4 – 6 別離
「永遠を信じる?」 リュネールが哲学者に最後の質問をする。
「信じる。」 と哲学者が答える。
「私も信じる。あなたと一緒ならば。」 とリュネール。
「なぜ黙っているの?」 とリュネールが尋ねる。
「聞いているよ。」と哲学者が答える。
突然、夕方6時の鐘が鳴った。
「時間だ!」 空を見上げ、哲学者は自分自身に向かって呟いた。
哲学者との別離が辛すぎて、リュネールが悲壮な泣き声を上げた。
その叫び声は、草原中に響き渡った。
全ての動物が、みな驚き牧草を食べるのを止めてしまった。
中には、セーヌ河洪水アラートと勘違いし慌てて丘に向かって我先にと
避難を始めた動物もいた。
一羽の小鳥が、自分の巣から落ちた。
「ク・・・・ク・・・・・!・・・・・・!・・・・・!」
これ以降、この丘は『別離の丘』 と呼ばれるようになった。
4 – 7 地震
□□追いかけて 追いかけて
光に 目は くらむ 僕達は 夢みる
□僕達の 知らない 未来の街々を
再び出発してから数日後、
ふたりは大地が揺れ動くのを感じた。
背後を振り返ると、もう歳をとっていたあの立派な大樹が
ばったりと音を立てて大地に倒れるのが見えた。
ふたりで大樹の方に向かって駆け出す。
チンチラがふたりに向かって言う。
「戻ってはいけない。 何の役にも立たないばかりか、むしろ君達には危険だ。
ネヴァーランドへの道を辿ろう。」
ソレール と リュネールは泣きながら、
哲学者の膝上で楽しく過ごした草原を振り返り振り返りながら、
チンチラと一緒にネヴァーランドへの道を辿る。
哲学者の優しさはいつまでもふたりの胸に残った。
別離(わかれ)は いつでも あらたなる 出発だ
明日は まだ 凍っている 暗い森を
駆けぬけ 閉ざされた 湖を 渡り
光あふれる 草原を 再び めざす
耳を すませてごらん ジュピターが
僕達を 呼ぶ声が きこえる
□□□□□□降りつづいた 雨が
止んで 雲の きれめから 陽が
さすころ 僕達は 真昼の ひかり
まぶしい 地中海(メディテラネ)へと あふれでる
忘れ霜 迷路パズル